家族で食事するということ

スーパーで買い物をしていて、他の買い物客を見て、コンビニの総菜の棚のことなど思い出し、「一人暮らしかどうかにかかわらず、一人で家で食事する人が増えてるんだろうな」って気がした。

一人暮らしの人が一人で家で食事するのはそれでいいと思うんだけど、家族と一緒に住んでて一人だけ好きなものを買ってきて一人だけで好きな時間に食べるというのは、自由だけど、なんか家族の食事というのはそういうもんでない気がする。
これは、悪いということではなくて、私が「そういうもんでない」という風に育ってきているということだと思う。

たとえば、おでんを作る。おでんには、夫が好きなウインナー巻きとたまご、娘が好きなたまごとはんぺん、私の好きな大根ともち巾着、あと、私がおでんとはそういうものだと思っている練り物一式を入れる。
みんなおでんを食べてるけれど、気持ちが別のものを食べている。夫にはたぶんおでんとはウインナー巻きとたまごのことである。娘にはたぶんはんぺんのことである。私がふたりに「大根もひとくちくらい食べなさい」と言う。私は大根をこれが食べたかったと思って食べ、ふたりはまあ少し食べてやってもいいかと食べる。
そういう感じ。

そんな風に思っているので、私の作る夕食はだいたい、各自が好きなものがひとつずつ入っている。
夫が好きな豚の生姜焼きとサラダに、娘が大好きなじゃがいもスープにかぼちゃの煮物、私が好きなアボカドの和え物、とか。
今日は誰々が好きなものデー、みたいのもある。娘が大好きなシチューとパンとサラダ、だけど夫にはごはんをよそって明太子をつけておく、みたいになる。

昔、私が「なんとか料理できるようになろう」と思っていたころ、「料理が上手」になればすべて解決するのかと思っていた。でも、今は違うと思っている。「家族の味をつくる」というのはそういうことではないのだ。「普通はおいしいと言われる料理」ができても、家族全員がそれで満足するとは限らない。
それに、好みは変わるし、好きなものでもそれだけずっと食べてたら飽きる。
大した経験ではないが、経験的には、レストランみたいな味になればなるほど、飽きるのが早い。
あんまり好きじゃないけどちょっとは食べとくか、みたいなものがあったほうが、好きな食べ物が楽しい。好きなものがまったくないと、たぶんさみしい。
そういう気持ちの問題には、永遠に、これでOKという答えはない。

まあただ、家族で本当に大切なのは、同じところで一緒に食べる、だけかなっていう気持ちが私のベースにはあると思う。
私が子供のころ、外食が非常に多かった。共働きだったし、今思えば、母は非常な偏食で(肉と魚がほとんど食べられない)、弟は反対方向の偏食だった(ほぼ肉しか食べない)ので、夜まで働いてから、その両者が一緒に十分食べられる食事を作るのは事実上無理だったんだと思う。
でも外食だと、みんなで一緒にお店に行って、それぞれ食べたいものを頼み、出てくるまでおしゃべりをして、とても楽しかった。お店なのでテレビは見ない。必然的に、お互いに何か話をする。それが私にとっての食事なのだ。

しかしまあそれで長い目で見てほんとにいいのかというと、外食が関係あるかどうかは誰にも言えないが、実際問題私の父と母はどちらもガンを発症していて、なんだかんだ50歳前半でふたりとも亡くなっているので、まあできるかぎりは家で全員満足できる食事を作るということに努力しようかなぁ、とは思っている。

家族の食事は、きっと私に家族があるかぎり、私にとって努力を継続すべき課題なのだろう。

今日の夕食の予定は、娘が好きな焼き魚(塩さば)、夫が好きなえびともやしのバター炒めとサラダ、私の好きなれんこんのきんぴら、の予定。