yPadを買ってしまった

こないだ本屋で見かけて、思わず「yPad」を買ってしまった。
iPad miniじゃないよ。yPadだよ。

yPad全景

iPadと同じ大きさのスケジュール帳&メモ。

yPad表紙

ちゃんとyPad3って書いてあるよ。

スケジュール管理はGoogleカレンダーを週表示にして時間単位で管理の私には、ほんとはいらない気がするが、1ページ2週間分のガントチャート風スケジュール+右に20個のジョブ進行表、というのが気になって、スケジュール整理するときのメモにするために買ってしまった。

あと、寄藤文平が好き、というのが大きい……。

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罫線やカラーも寄藤文平テイストの品の良さ。

これを使って、とっとと仕事の計画を立てます。はい。

Amazon.co.jp: yPad3: 寄藤文平: 本

結婚と夫婦別姓、フランスのPACSに思うこと

こないだテレビで「ニッポンダンディ」を観ていたら、ちらっとPACSという制度の話が出た。
フランスの、結婚ではないが同居するカップルが契約すると行政的に結婚に近い扱いが受けられる制度らしい。

気になったので少し調べてみた。
民事連帯契約 – Wikipedia

そのテレビで話してた話の中で私がもっとも気になったのは「PACSの人はかなり浮気する、浮気があまり悪いこととされてない」という話だった。
それって、「人は神に誓わないと浮気するのが普通」ということ⁉と思ったのだ。
事情は色々実際には違うのかもしれないが、今日のテーマはそのへんで

「手続き的、システム的にはさほど変わらない代替案があり、しかし意味的や哲学的に異なる制度をみんなは(日本は)どう扱うのか」

という話だ。

実はこの話の前段階には、このへんにまつわる超、ちょーーー長い考察と実験(?)があるのだが、それを書いてからにしようと思うと今のペースだと死ぬまで書けなそうなので割愛する。

私は結婚を考えるにあたって、かなり長い間「私にとっての結婚とはなんなのか?」を考えていた。
最終的な結論としては、それは「保証されない未来に対して、覚悟を決めて、どうなっても自分はこうするという決意を誓うこと」だった。

その決意が基本決まってから今の夫と正式に付き合う(「付き合う」に「正式」ってへんだけど)ことにしたので、そのときには「結婚を前提としたお付き合いをしたいです」と半笑いで言ったことを覚えている。
夫はきっと、こいつは何を言っているんだと思ったことであろう。

私は精神的には宗教を持っていない。強いて言えば、「科学教」の信者だと思う。私が結婚を誓う神は外にはおらず、でも私は私の中の神に誓ったので、それでいいのだ、と思って結婚した。

私のことはケースの中の(多分けっこう異端な)ひとつだが、結婚の意味が空洞化していて、自分でなんらかの意味付けを行わないと結婚ができない、という状況は、今の日本では相当数あるのではないかと私は思っている。

で、私は結婚してだいぶ経つまで「夫もそれなりに似たようなものだろう」と漠然と思っていた。
でも結構違ったみたい。
今日書いていることは、そんな、私とは結構違った夫の意見を聞いていて私が最近考えるようになったことである。

例えば夫婦別姓の話である。
夫婦別姓の議論はうちの中では「紛糾する話題」で、何度かやりあったが、もうだいたいお互いのポジションがわかった(一致はしてない)ので、今は平穏である。
これも知るまでにだいぶ時間がかかった。

そもそも私は、夫婦別姓を別にどうも思っていない。
もう少し解説すると、そもそも「名前というのは一種の記号で、実在とは別のものだし、環境とともに変わって自然だし、記憶が残っていれば別にどう変化してもいい」というような感覚で私はいる。
保守とは反対側どころか、反対側のリベラルをさらに通り越してアナーキーである。

私はこのへんも漫然と、夫も私と似たようなものだろうと勝手に思っていた。
ところが、夫は保守だったのだー!びっくり。
厳密には、一般的な「保守」とはちょっと違うし「ネトウヨ」とかとも違うのだが、まあとにかく私とは全く違っていて、夫は「夫婦は絶対同姓、原則夫の姓に合わせる」と思っていた。

そんなふたりが実際、自分たちの姓を決めるときにどうなったかと言うと、婚姻届を書くときに

私「そういえば話してなかった気がするけど、加藤(夫の姓)でいいんだよね?名前」
夫「あ……うん!」

で終わった。
私は名前とかどうでもよかったのである。
私にとっては、「婚姻届を出すには区役所に行かないといけない」と同じくらい、意味はないけどちゃんとするには現状やっとかないといけないこと、のひとつでしかなかったのでそう扱ったのである。

ところが、すごく後になってから聞いたのだが、このとき夫は、私の思想は保守でだけはないことは知っていたので(多分イヤになるほど知っていたので……よく結婚してくれたね……)姓を決めるときに揉めたら最悪結婚できなくなるかもしれないと思っていて、あっさり夫の姓に決まったときは心底ほっとしたらしい。
ごめんね……夫のそんな不安にまっったく気づいてあげられない妻で……。

まあともかく、例えばこの夫婦別姓の話が
「手続き的、システム的にはさほど変わらない代替案があり、しかし意味的や哲学的に異なる制度」
なんだと思うのである。

戸籍上の名前が変わったところで、別に制度的な不利益はない。
今までその名前で知られていたメリットを失うとかそういうのが気になる人は、戸籍はともかく、仕事上などでは改姓前の名前を使い続ければいい。
でも、夫婦別姓にこだわる人はいる(らしい)。
保守も感覚的にはそれほど理解出来ていない私なので、夫婦別姓にこだわる人の感覚はさらに理解出来ていないと思うので語るのもなんなのだが、それが、
「意味的や哲学的に異なる」
ということなんではないか、と思う。

逆に、名前が同じだからといって、システム的に保証されるものも何もない。
でも、そこには多分、家族の一体感とか、仲間になるという意思の表明とか、なんかそーゆーものがあったり、伝統に与している感覚とかいうのが、何かうっすらとあるのではないか。
たぶん。
私にはあまり重要じゃないけど、日本人の大半にはそういうの実は重要な気がする。

例えば冒頭に書いたPACSもそうだ。
メリット的には結婚とそれほど変わらないらしい。
しかし、どうも、伝統的な結婚に当てはまらない人の不利益を解消しようとして作った代替案は、結果的に結婚とは
「意味的や哲学的に異なる」
制度を作って、それによって人々の思想を徐々に変えていってるのではないか、と思うのだ。

今の日本の状況だと、少数の困っている人を困らなくするためには、なんでも個人の意思で好きなように選択できるほうに変えればよい、という方向に強く傾いているように私は感じている。
でも、それによって、たぶん大きく変わってしまう倫理観とかがあるんじゃないかと思う。
それを見落としたまま決定するのは、私の感じるところだと、多くの日本人は望んでない結果をもたらすんじゃないだろうか?

えーまあ……私自身はわりと別にいいってところが、あれなんですけどね……。
でも私の感覚って、あんまり平均的な日本人の感覚じゃないと思うよ。
みんないつも白い目で見るのに、その私と同じような決定してほんとにいいの?っていうあたり。

PACSについてはほんとはもうちょっと語りたいところもあるのだが、ながくなったので今日はここで終わり。

子供を産むということについて思うこと・2

このテーマでいくつか書きたいことがある気がしたので、このあいだ
子供を産むということについて思うこと・1 | あちゃぞうの考えすぎにっき
を、書いたとき「1」としておいた。

次は何から書こうかと考えていたら考えすぎて煩雑になってきたので、とりあえず一番言いたいことから書くことにする。

次に一番言いたいのは、どうして「キャリアプラン的に考えたら子供は(いつか産むなら)早く産んだほうが有利」ということを今まで(先人たちは)誰も私に言ってくれなかったのか?ということだ。
まあ、たぶん答えは、「誰も経験したことがなかったから」なんだろうけど……。

これに気付いてがーんとなったのは、とある懇親会で今50代くらいの女性とお話してたときのことだ。
彼女のまわりでは、専業主婦で子育てをしてきて、「子育てが終わって」(←ここ重要)ひとりの時間をもてあましてうつうつとしている女性が多いので、そういう人たちをなんとか救いたくて事業を始めたいと考えているとのことだった。

そう、子育てって、終わるのだ。
「子供が独立したら終わる」というのは漠然とイメージはあったが、それより先に、もう中学生高校生くらいになったら(お小遣いさえ渡しておけば)たいていのことは一人でもやっといてくれて、友達と遊んでるほうがいい、そんな時代が来るのだ。
早ければ12年、遅くても15年くらい。
他の人に多少見てもらえるとか、もうちょっとトリッキーな手を使えば、小学校あがったくらいから「子育て」というより「家族」として一緒に暮らす状態が来るのだ。小学校上がるまでと思ったら、6年だ。

私が10代のころ、そう明文化して思っていたわけではないが、たぶん「30歳になったら人生終わり」と思ってた。
20代になったら、「子供ができたら『自分の』人生は終わり」って思ってた。たぶん、そんな感じ。
でも、今36歳になって思うのは、30歳になっても40歳になっても、「私の人生」はまったく終わっていない、ということだ。たぶん50歳になっても60歳になっても、終わらないだろう。生きてれば。

子育てが終わっても(子育て中でも続けてるけど)私は仕事をするだろう。
子育て期間というのは「半分仕事をお休みする期間」なのだと思う。
ちなみに、産むまでは「子供がいても保育園に預けたりすれば普通に仕事してるのと変わらない」と思ってたけど、これは少しニュアンスが違っていた。
明らかに「半分仕事・半分家庭(育児)」という感じになっている。せざるをえない。
だって子供って時間がかかるんだもん。
大人だけで暮らしていたら想像がつかないようなことに時間がかかるのだ。
寝るのに1時間かかるとか、考えないでしょ?
計算に入れてなかったよ。
まあ、仕事は仕事でしているので、一番削られるのは「趣味と遊びの時間」なんだけどね。

で、長いスパンの話なんだけど。
20歳で子供を産むとするじゃない。子供が小学校になったら、26歳。
そこから新しい仕事始めても全然問題ないよ?
まあ大学行ってたとして、25歳で子供産んだら、6歳になったとき31歳。
まだまだ、なんとか、新規で雇用してもらえる年齢。
そしたらもう子供がいて、そこからずーっと「お休み」なしでキャリアが積めるんだよ?

これを35歳で産んだらどう?
35歳から6年たったら、41歳。
そろそろ未経験でまともに雇ってもらうのは難しい年齢。
それまでのキャリアが13年。6年あけたら、そのキャリアってどうなる?
どう考えても、25歳で産んで31歳くらいで完全復帰できたほうが有利に決まってるじゃん。

なんでそれを私は今まで誰にも言われてないわけ?

学校で教わったことは、子供がどうやったらできるかの仕組みと、「避妊をしなさい」ということだけ。
早すぎるときに子供を産んだら不幸になる、というメッセージばかりをずっと聞いてきた。
学校に行って勉強して学歴を得なさい、学校が終わったら会社に勤めてキャリアを積みなさい。キャリアは途切れるとあとでとっても困ります。そればっかり。
そんなこと言っといて20代後半くらいになったら「体のためを思ったら30歳前後までには子供を産んだほうがいいわよ」とか言われたって、じゃあ今まで言ってたことはなんだったの?って感じで、それを言ってる人はキャリアのこととか何も考えてないんだなーって感じるだけで、聞く耳持てないのは当たり前だよ。

実際さ、もう「産んだ」ってだけで(あるいは最初に授乳とかしてるってだけで)子供はおかあさんのほうに寄ってくるのがデフォなんだよ。というのが実際に産んで思ったこと。
(あとからいくらでも切り替えられるけど、切り替えるのにはおかあさんおかあさんって泣いて呼ぶ子供のところに行かないで他の人に世話をさせるということなんで、よっぽどなんかないとたいてい流されちゃうと思う。)
「キャリアが途切れたら致命的」みたいなことと同時に「男性にも育児休暇を取ってもらえば変わりなく仕事ができる」とか言う前に、現状で実際どうするかっていったら25歳あたりで子供産んだほうが仕事するのに有利だって、言ってよ!
ほんとにさ。
ま、実際、私の親世代とかは、なんだかんだ言っても25歳くらいで子供産んでるわけだから、知らなかったんだと思うけどね。30過ぎてから子供を産んだらどうなってくるかってこと。
たぶんナチュラルに「産むな産むなって言っとけば25歳くらいで産む」と思ってたんじゃないかなぁ。
実際には、30過ぎても産めない人続出だけどね。

で、まあ、言いたいことは言ったけど、なんだかんだ言って私たちの世代(今30代の人)はもうしょーがないよ。もう大人になっちゃったんだから、自分で考えて、自分でどうするか決めるしかないよ。
でさ、この教育、続けるの?
まずいんじゃないの?

私が高校の時の修学旅行の夜、当時付き合ってた人のことを聞かれ、話していたら「えーっ、付き合って半年にもなるのに、まだ(セックス)してないの!?」って言われた。
えーと……まあそういうプラトニック(?)な付き合いだったんですけどね。
ええ……まあ……もごもご……という私を尻目にその話は終わり、そのあといろいろみんなが話していたら、上の「してないの!?」を言ったのと同じ女の子が「私、最初は結婚する人までとっといてもいいかも~」って言ってて、はらひれほろはれ、ってなった。
でも今の日本の倫理観って、そんなだと思うよ。
めちゃくちゃだよ。
その倫理観はそのまんまで、避妊だけしなさい、子供は早く作ると不幸になります、ってのだけ教えるの?
ちょっとそれ、日本沈没じゃないの?

まあそういっても、じゃあどういう考え方をメジャーに置くべきか、というのが私の中でまとまっているわけではないんだけどね。
個々の人がどう考えるかを規制したいというわけではないんだけど、「一番人数が多い層」の考え方がそういう風になるような教育、ってやっぱりなんか、変だと思うよ。