金八先生のドラマシリーズはネットで動画で見られるか調べてみた

結論から言うと、たぶんネット上で動画では(有料・公式で)見られません

おそらく現在、金八先生のドラマシリーズを見る方法は

  1. TBSチャンネル(CS有料放送)を視聴する
  2. レンタルDVDを借りる
  3. DVD-BOX(または中古DVD)を購入

という感じです。

違法アップロード動画は基本削除されている様子です。

以下、少し詳細に解説。

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1. TBSチャンネルを視聴する

TBS CS[TBSチャンネル]| TBSが贈る総合エンターテインメントチャンネル

ここの、TBSチャンネル2のほうで、どうも数年前から全シリーズをぐるぐる再放送してるっぽい。

参考:
金八通-金八シリーズ再放送情報

全部見たい人はこちらを視聴するのもアリかもしれません。

↓TBSチャンネルの視聴の方法についてはこちら
視聴方法|TBS CS[TBSチャンネル]

2. レンタルDVDを借りる

TSUTAYA、ゲオ等で普通に借りられるようです。
店舗に行く前に、店舗在庫状況を検索すれば確実。

3. DVD-BOXを購入

シリーズ単位でDVD-BOXが発売されてます。
本気で全部見たい方は買ってもいいかもしれませんが……けっこう高いです。

参考:
Amazon.co.jp | 3年B組金八先生 DVD-BOX 第2シリーズ [DVD] DVD・ブルーレイ – 武田鉄矢, 名取裕子, 倍賞美津子, 赤木春恵, 小山内美江子
2015/05/14現在、価格は32,940円です。

ちなみに、今回私たちが見たかったのは第2シリーズの24話だけだったので、あんまり買う気にはなれませんでした。よく探すとレンタル落ちらしき中古で単体で売ってるのもあります。

参考:
【楽天市場】【中古】 3年B組金八先生 第2シリーズ昭和55年版 6 /武田鉄矢,名取裕子,上條恒彦,吉行和子,赤木春恵,川津祐介,小山内美江子,瀬尾一三 【中古】afb:ブックオフオンライン楽天市場店

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あとはおまけの話です。

娘が、妖怪ウォッチのニャンパチ先生のマネをして「こーにょー、ばーかちんがー!」と言っていたのを聞いてふと「腐ったミカンがどうのこうのは、ニャンパチ先生は言わないんだよね?」と聞いてみたのをきっかけに、夫が(←その回大好き)動画を探しだしたけどどうしても見つからない様子だったので、気になって私も調べちゃってドハマりしたので、その記録です。

有料動画サイト(GooglePlayとか、iTunesStoreとか、Huluとか)で1話だけオンラインレンタルで300円くらいで見れないのかな~と思って探し始めたんですけど、全然ない!

たぶんTBSの方針で、TBSチャンネルかDVD-BOXにお金を払ってほしいってことなのかなぁ……。
(私が探すのヘタなだけだったらごめんなさい)

家族で食事するということ

スーパーで買い物をしていて、他の買い物客を見て、コンビニの総菜の棚のことなど思い出し、「一人暮らしかどうかにかかわらず、一人で家で食事する人が増えてるんだろうな」って気がした。

一人暮らしの人が一人で家で食事するのはそれでいいと思うんだけど、家族と一緒に住んでて一人だけ好きなものを買ってきて一人だけで好きな時間に食べるというのは、自由だけど、なんか家族の食事というのはそういうもんでない気がする。
これは、悪いということではなくて、私が「そういうもんでない」という風に育ってきているということだと思う。

たとえば、おでんを作る。おでんには、夫が好きなウインナー巻きとたまご、娘が好きなたまごとはんぺん、私の好きな大根ともち巾着、あと、私がおでんとはそういうものだと思っている練り物一式を入れる。
みんなおでんを食べてるけれど、気持ちが別のものを食べている。夫にはたぶんおでんとはウインナー巻きとたまごのことである。娘にはたぶんはんぺんのことである。私がふたりに「大根もひとくちくらい食べなさい」と言う。私は大根をこれが食べたかったと思って食べ、ふたりはまあ少し食べてやってもいいかと食べる。
そういう感じ。

そんな風に思っているので、私の作る夕食はだいたい、各自が好きなものがひとつずつ入っている。
夫が好きな豚の生姜焼きとサラダに、娘が大好きなじゃがいもスープにかぼちゃの煮物、私が好きなアボカドの和え物、とか。
今日は誰々が好きなものデー、みたいのもある。娘が大好きなシチューとパンとサラダ、だけど夫にはごはんをよそって明太子をつけておく、みたいになる。

昔、私が「なんとか料理できるようになろう」と思っていたころ、「料理が上手」になればすべて解決するのかと思っていた。でも、今は違うと思っている。「家族の味をつくる」というのはそういうことではないのだ。「普通はおいしいと言われる料理」ができても、家族全員がそれで満足するとは限らない。
それに、好みは変わるし、好きなものでもそれだけずっと食べてたら飽きる。
大した経験ではないが、経験的には、レストランみたいな味になればなるほど、飽きるのが早い。
あんまり好きじゃないけどちょっとは食べとくか、みたいなものがあったほうが、好きな食べ物が楽しい。好きなものがまったくないと、たぶんさみしい。
そういう気持ちの問題には、永遠に、これでOKという答えはない。

まあただ、家族で本当に大切なのは、同じところで一緒に食べる、だけかなっていう気持ちが私のベースにはあると思う。
私が子供のころ、外食が非常に多かった。共働きだったし、今思えば、母は非常な偏食で(肉と魚がほとんど食べられない)、弟は反対方向の偏食だった(ほぼ肉しか食べない)ので、夜まで働いてから、その両者が一緒に十分食べられる食事を作るのは事実上無理だったんだと思う。
でも外食だと、みんなで一緒にお店に行って、それぞれ食べたいものを頼み、出てくるまでおしゃべりをして、とても楽しかった。お店なのでテレビは見ない。必然的に、お互いに何か話をする。それが私にとっての食事なのだ。

しかしまあそれで長い目で見てほんとにいいのかというと、外食が関係あるかどうかは誰にも言えないが、実際問題私の父と母はどちらもガンを発症していて、なんだかんだ50歳前半でふたりとも亡くなっているので、まあできるかぎりは家で全員満足できる食事を作るということに努力しようかなぁ、とは思っている。

家族の食事は、きっと私に家族があるかぎり、私にとって努力を継続すべき課題なのだろう。

今日の夕食の予定は、娘が好きな焼き魚(塩さば)、夫が好きなえびともやしのバター炒めとサラダ、私の好きなれんこんのきんぴら、の予定。

会社名変更しました

はーどうもー。つかれたー。

うちの会社名を株式会社エレクトリック・ファントムから、株式会社シンクマックスに変更しました。

ってね、変更したの、2012年11月11日なんですけどね!!!告知するまで1カ月以上かかったわ……すいません……。

6月くらい?に、コンサルタントの中山マコトさんとお話しして、会社の方針を固め直すにあたって会社名も変更しようという話になり、考えたコンセプトにふさわしい名前ということでマコトさんが提案してくれた「THINK MAX」。
「考えすぎ」にふさわしく、他の案もいっぱい出して考えたんですが、最終的に、少し勢いのある感じのこの名前に私が決めました。

それからロゴ作成、キャラ作成、それからサイト作成、名刺作成……とやっていて、最後まで終わらなかったのがサイト!
よくある話で……Webサイト制作会社ほど、お客様のサイト優先で作っちゃって自社のサイトが全然仕上がらないって……。
しかし11月に社名変更してて、年越してから発表ってのもどーにもあれなので、最低限でとにかく年内公開しました。

そんな新サイトは、ドメインも変更してこちら。

株式会社シンクマックス

あのぅ……「あちゃぞう出すぎwwwww」って言わないで……わかってるから……。
ちゃんと撮影して、「お客さんとしっかり向き合ってお話しする」というイメージ写真をつくろう!って人物写真メインで撮ることに決めたのはよかったと思うんだけど、顔出しOKなのが私とパートさんもうひとりしかいなかったのよ!
超短時間パートの彼女をそんなにメインに出すわけにもいかず……こうしたことに……。

まあそんなこんな、サイトも年明けからどんどん追加更新していくつもりなので、気長に見守っていただけたら幸いです。
今後ともよろしくですよー。

追伸:
こちらのブログも正式告知するとともに、てきとうになってたURLをルートに移動しました。
以前は
http://kato-asako.com/wp/
でアクセスできたんですが、
http://kato-asako.com/
でアクセスするように変更しました。
これまでにチラっと出してたときにブクマとかRSSとかしてくれてた心やさしい方は、お手数ですが変更しておいてください。

yPadを買ってしまった

こないだ本屋で見かけて、思わず「yPad」を買ってしまった。
iPad miniじゃないよ。yPadだよ。

yPad全景

iPadと同じ大きさのスケジュール帳&メモ。

yPad表紙

ちゃんとyPad3って書いてあるよ。

スケジュール管理はGoogleカレンダーを週表示にして時間単位で管理の私には、ほんとはいらない気がするが、1ページ2週間分のガントチャート風スケジュール+右に20個のジョブ進行表、というのが気になって、スケジュール整理するときのメモにするために買ってしまった。

あと、寄藤文平が好き、というのが大きい……。

20121117-112350.jpg

罫線やカラーも寄藤文平テイストの品の良さ。

これを使って、とっとと仕事の計画を立てます。はい。

Amazon.co.jp: yPad3: 寄藤文平: 本

結婚と夫婦別姓、フランスのPACSに思うこと

こないだテレビで「ニッポンダンディ」を観ていたら、ちらっとPACSという制度の話が出た。
フランスの、結婚ではないが同居するカップルが契約すると行政的に結婚に近い扱いが受けられる制度らしい。

気になったので少し調べてみた。
民事連帯契約 – Wikipedia

そのテレビで話してた話の中で私がもっとも気になったのは「PACSの人はかなり浮気する、浮気があまり悪いこととされてない」という話だった。
それって、「人は神に誓わないと浮気するのが普通」ということ⁉と思ったのだ。
事情は色々実際には違うのかもしれないが、今日のテーマはそのへんで

「手続き的、システム的にはさほど変わらない代替案があり、しかし意味的や哲学的に異なる制度をみんなは(日本は)どう扱うのか」

という話だ。

実はこの話の前段階には、このへんにまつわる超、ちょーーー長い考察と実験(?)があるのだが、それを書いてからにしようと思うと今のペースだと死ぬまで書けなそうなので割愛する。

私は結婚を考えるにあたって、かなり長い間「私にとっての結婚とはなんなのか?」を考えていた。
最終的な結論としては、それは「保証されない未来に対して、覚悟を決めて、どうなっても自分はこうするという決意を誓うこと」だった。

その決意が基本決まってから今の夫と正式に付き合う(「付き合う」に「正式」ってへんだけど)ことにしたので、そのときには「結婚を前提としたお付き合いをしたいです」と半笑いで言ったことを覚えている。
夫はきっと、こいつは何を言っているんだと思ったことであろう。

私は精神的には宗教を持っていない。強いて言えば、「科学教」の信者だと思う。私が結婚を誓う神は外にはおらず、でも私は私の中の神に誓ったので、それでいいのだ、と思って結婚した。

私のことはケースの中の(多分けっこう異端な)ひとつだが、結婚の意味が空洞化していて、自分でなんらかの意味付けを行わないと結婚ができない、という状況は、今の日本では相当数あるのではないかと私は思っている。

で、私は結婚してだいぶ経つまで「夫もそれなりに似たようなものだろう」と漠然と思っていた。
でも結構違ったみたい。
今日書いていることは、そんな、私とは結構違った夫の意見を聞いていて私が最近考えるようになったことである。

例えば夫婦別姓の話である。
夫婦別姓の議論はうちの中では「紛糾する話題」で、何度かやりあったが、もうだいたいお互いのポジションがわかった(一致はしてない)ので、今は平穏である。
これも知るまでにだいぶ時間がかかった。

そもそも私は、夫婦別姓を別にどうも思っていない。
もう少し解説すると、そもそも「名前というのは一種の記号で、実在とは別のものだし、環境とともに変わって自然だし、記憶が残っていれば別にどう変化してもいい」というような感覚で私はいる。
保守とは反対側どころか、反対側のリベラルをさらに通り越してアナーキーである。

私はこのへんも漫然と、夫も私と似たようなものだろうと勝手に思っていた。
ところが、夫は保守だったのだー!びっくり。
厳密には、一般的な「保守」とはちょっと違うし「ネトウヨ」とかとも違うのだが、まあとにかく私とは全く違っていて、夫は「夫婦は絶対同姓、原則夫の姓に合わせる」と思っていた。

そんなふたりが実際、自分たちの姓を決めるときにどうなったかと言うと、婚姻届を書くときに

私「そういえば話してなかった気がするけど、加藤(夫の姓)でいいんだよね?名前」
夫「あ……うん!」

で終わった。
私は名前とかどうでもよかったのである。
私にとっては、「婚姻届を出すには区役所に行かないといけない」と同じくらい、意味はないけどちゃんとするには現状やっとかないといけないこと、のひとつでしかなかったのでそう扱ったのである。

ところが、すごく後になってから聞いたのだが、このとき夫は、私の思想は保守でだけはないことは知っていたので(多分イヤになるほど知っていたので……よく結婚してくれたね……)姓を決めるときに揉めたら最悪結婚できなくなるかもしれないと思っていて、あっさり夫の姓に決まったときは心底ほっとしたらしい。
ごめんね……夫のそんな不安にまっったく気づいてあげられない妻で……。

まあともかく、例えばこの夫婦別姓の話が
「手続き的、システム的にはさほど変わらない代替案があり、しかし意味的や哲学的に異なる制度」
なんだと思うのである。

戸籍上の名前が変わったところで、別に制度的な不利益はない。
今までその名前で知られていたメリットを失うとかそういうのが気になる人は、戸籍はともかく、仕事上などでは改姓前の名前を使い続ければいい。
でも、夫婦別姓にこだわる人はいる(らしい)。
保守も感覚的にはそれほど理解出来ていない私なので、夫婦別姓にこだわる人の感覚はさらに理解出来ていないと思うので語るのもなんなのだが、それが、
「意味的や哲学的に異なる」
ということなんではないか、と思う。

逆に、名前が同じだからといって、システム的に保証されるものも何もない。
でも、そこには多分、家族の一体感とか、仲間になるという意思の表明とか、なんかそーゆーものがあったり、伝統に与している感覚とかいうのが、何かうっすらとあるのではないか。
たぶん。
私にはあまり重要じゃないけど、日本人の大半にはそういうの実は重要な気がする。

例えば冒頭に書いたPACSもそうだ。
メリット的には結婚とそれほど変わらないらしい。
しかし、どうも、伝統的な結婚に当てはまらない人の不利益を解消しようとして作った代替案は、結果的に結婚とは
「意味的や哲学的に異なる」
制度を作って、それによって人々の思想を徐々に変えていってるのではないか、と思うのだ。

今の日本の状況だと、少数の困っている人を困らなくするためには、なんでも個人の意思で好きなように選択できるほうに変えればよい、という方向に強く傾いているように私は感じている。
でも、それによって、たぶん大きく変わってしまう倫理観とかがあるんじゃないかと思う。
それを見落としたまま決定するのは、私の感じるところだと、多くの日本人は望んでない結果をもたらすんじゃないだろうか?

えーまあ……私自身はわりと別にいいってところが、あれなんですけどね……。
でも私の感覚って、あんまり平均的な日本人の感覚じゃないと思うよ。
みんないつも白い目で見るのに、その私と同じような決定してほんとにいいの?っていうあたり。

PACSについてはほんとはもうちょっと語りたいところもあるのだが、ながくなったので今日はここで終わり。

子供を産むということについて思うこと・2

このテーマでいくつか書きたいことがある気がしたので、このあいだ
子供を産むということについて思うこと・1 | あちゃぞうの考えすぎにっき
を、書いたとき「1」としておいた。

次は何から書こうかと考えていたら考えすぎて煩雑になってきたので、とりあえず一番言いたいことから書くことにする。

次に一番言いたいのは、どうして「キャリアプラン的に考えたら子供は(いつか産むなら)早く産んだほうが有利」ということを今まで(先人たちは)誰も私に言ってくれなかったのか?ということだ。
まあ、たぶん答えは、「誰も経験したことがなかったから」なんだろうけど……。

これに気付いてがーんとなったのは、とある懇親会で今50代くらいの女性とお話してたときのことだ。
彼女のまわりでは、専業主婦で子育てをしてきて、「子育てが終わって」(←ここ重要)ひとりの時間をもてあましてうつうつとしている女性が多いので、そういう人たちをなんとか救いたくて事業を始めたいと考えているとのことだった。

そう、子育てって、終わるのだ。
「子供が独立したら終わる」というのは漠然とイメージはあったが、それより先に、もう中学生高校生くらいになったら(お小遣いさえ渡しておけば)たいていのことは一人でもやっといてくれて、友達と遊んでるほうがいい、そんな時代が来るのだ。
早ければ12年、遅くても15年くらい。
他の人に多少見てもらえるとか、もうちょっとトリッキーな手を使えば、小学校あがったくらいから「子育て」というより「家族」として一緒に暮らす状態が来るのだ。小学校上がるまでと思ったら、6年だ。

私が10代のころ、そう明文化して思っていたわけではないが、たぶん「30歳になったら人生終わり」と思ってた。
20代になったら、「子供ができたら『自分の』人生は終わり」って思ってた。たぶん、そんな感じ。
でも、今36歳になって思うのは、30歳になっても40歳になっても、「私の人生」はまったく終わっていない、ということだ。たぶん50歳になっても60歳になっても、終わらないだろう。生きてれば。

子育てが終わっても(子育て中でも続けてるけど)私は仕事をするだろう。
子育て期間というのは「半分仕事をお休みする期間」なのだと思う。
ちなみに、産むまでは「子供がいても保育園に預けたりすれば普通に仕事してるのと変わらない」と思ってたけど、これは少しニュアンスが違っていた。
明らかに「半分仕事・半分家庭(育児)」という感じになっている。せざるをえない。
だって子供って時間がかかるんだもん。
大人だけで暮らしていたら想像がつかないようなことに時間がかかるのだ。
寝るのに1時間かかるとか、考えないでしょ?
計算に入れてなかったよ。
まあ、仕事は仕事でしているので、一番削られるのは「趣味と遊びの時間」なんだけどね。

で、長いスパンの話なんだけど。
20歳で子供を産むとするじゃない。子供が小学校になったら、26歳。
そこから新しい仕事始めても全然問題ないよ?
まあ大学行ってたとして、25歳で子供産んだら、6歳になったとき31歳。
まだまだ、なんとか、新規で雇用してもらえる年齢。
そしたらもう子供がいて、そこからずーっと「お休み」なしでキャリアが積めるんだよ?

これを35歳で産んだらどう?
35歳から6年たったら、41歳。
そろそろ未経験でまともに雇ってもらうのは難しい年齢。
それまでのキャリアが13年。6年あけたら、そのキャリアってどうなる?
どう考えても、25歳で産んで31歳くらいで完全復帰できたほうが有利に決まってるじゃん。

なんでそれを私は今まで誰にも言われてないわけ?

学校で教わったことは、子供がどうやったらできるかの仕組みと、「避妊をしなさい」ということだけ。
早すぎるときに子供を産んだら不幸になる、というメッセージばかりをずっと聞いてきた。
学校に行って勉強して学歴を得なさい、学校が終わったら会社に勤めてキャリアを積みなさい。キャリアは途切れるとあとでとっても困ります。そればっかり。
そんなこと言っといて20代後半くらいになったら「体のためを思ったら30歳前後までには子供を産んだほうがいいわよ」とか言われたって、じゃあ今まで言ってたことはなんだったの?って感じで、それを言ってる人はキャリアのこととか何も考えてないんだなーって感じるだけで、聞く耳持てないのは当たり前だよ。

実際さ、もう「産んだ」ってだけで(あるいは最初に授乳とかしてるってだけで)子供はおかあさんのほうに寄ってくるのがデフォなんだよ。というのが実際に産んで思ったこと。
(あとからいくらでも切り替えられるけど、切り替えるのにはおかあさんおかあさんって泣いて呼ぶ子供のところに行かないで他の人に世話をさせるということなんで、よっぽどなんかないとたいてい流されちゃうと思う。)
「キャリアが途切れたら致命的」みたいなことと同時に「男性にも育児休暇を取ってもらえば変わりなく仕事ができる」とか言う前に、現状で実際どうするかっていったら25歳あたりで子供産んだほうが仕事するのに有利だって、言ってよ!
ほんとにさ。
ま、実際、私の親世代とかは、なんだかんだ言っても25歳くらいで子供産んでるわけだから、知らなかったんだと思うけどね。30過ぎてから子供を産んだらどうなってくるかってこと。
たぶんナチュラルに「産むな産むなって言っとけば25歳くらいで産む」と思ってたんじゃないかなぁ。
実際には、30過ぎても産めない人続出だけどね。

で、まあ、言いたいことは言ったけど、なんだかんだ言って私たちの世代(今30代の人)はもうしょーがないよ。もう大人になっちゃったんだから、自分で考えて、自分でどうするか決めるしかないよ。
でさ、この教育、続けるの?
まずいんじゃないの?

私が高校の時の修学旅行の夜、当時付き合ってた人のことを聞かれ、話していたら「えーっ、付き合って半年にもなるのに、まだ(セックス)してないの!?」って言われた。
えーと……まあそういうプラトニック(?)な付き合いだったんですけどね。
ええ……まあ……もごもご……という私を尻目にその話は終わり、そのあといろいろみんなが話していたら、上の「してないの!?」を言ったのと同じ女の子が「私、最初は結婚する人までとっといてもいいかも~」って言ってて、はらひれほろはれ、ってなった。
でも今の日本の倫理観って、そんなだと思うよ。
めちゃくちゃだよ。
その倫理観はそのまんまで、避妊だけしなさい、子供は早く作ると不幸になります、ってのだけ教えるの?
ちょっとそれ、日本沈没じゃないの?

まあそういっても、じゃあどういう考え方をメジャーに置くべきか、というのが私の中でまとまっているわけではないんだけどね。
個々の人がどう考えるかを規制したいというわけではないんだけど、「一番人数が多い層」の考え方がそういう風になるような教育、ってやっぱりなんか、変だと思うよ。

ぶたやかん、さようなら

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写真が見苦しくてすいません。
愛用していたぶたやかんの内部が錆びてしまい、茶色い湯が出てきちゃったんで、急遽新しいやかんを買ってきた。

思い返せば、このやかんは夫の妹さんから5年前くらいの誕生日にもらったもので、それから毎日2、3回これでお湯を沸かしてきた。

本当は鼻(お湯の注ぎ口)にプラスチックの笛がついていて、お湯が沸くと「ぼぉーー…」というオーケストラのチューニングのような音が出ていたのだが、1ヶ月くらい?で夫が焦がして溶けたのでそこだけ捨てた。

そんなトラブルにも耐え、よくぞここまでがんばってくれたものだ。
敬意を表して写真をアップすることにした。

電子ケトルにすることも考えたが、とりあえず近場でぱっと新しいのを買ってきてしまった。

ありがとう、ぶたやかん。君のことは忘れない。

子供を産むということについて思うこと・1

昨日、FacebookとTwitterにこんな投稿をした。
https://www.facebook.com/achaz.kato/posts/459719834071132

別 に誰も明示的にそうとは言わないし、もちろん言われたこともないんだけど、今の日本で子育てしてるとたまに感じる「あーあ、子供作っちゃったの?困る なー。自分できちんと面倒みるなら仕方ないけど、社会とか仕事とかに迷惑かけないでよ?」みたいな空気が、少子化の大きな要因な気がする。

これもうちょっと書くと、なんか、子供の認識がペット化し、ペットの認識が子供化しているような気がするのである。

要因として思うのは

  1. 子供に対する費用対効果が下がって(リスクが喧伝され、老いたとき面倒は見てもらわないのが普通ということになって)子供を持つということの資産的価値が下がったこと
  2. 避妊と中絶が「理性的に判断して行われるべきもの」という扱いになって、同時に「自己責任」の考え方が普及して、子供を産むのは「個人の判断」によって行われ「個人の責任」で育てるべきもの、という考え方に辿りついてしまっていること

というあたりである。

子供を産んでも、大人になってから困らないように育てるのには莫大な教育費がかかり、大人になってから困るような育て方をしたら子供にも社会にも罵られ、そして大人になったら親は子供に面倒を見てもらわないでむしろ孫の面倒を見るのが普通、となったら、合理的選択をしたら産まないのが普通なんである。
そこを今支えてるのが「そうはいっても子供がいないとさびしい」「子供はかわいい」「思い出になる」とかって考え方だ。
それは、ペットと何の違いがあるのか。
ていうか、それだけならペットを飼えばいいじゃないか。
子供を産むなんて、自分と子供をリスクにさらす選択をする必要はまったくない。

昔は、個人に対しても、子供にもっと高い資産的価値があった。
(そして実は、子供の資産的価値は社会に対しては今も変わらない。)
でもそれだけじゃなくて、個人の考え方に影響してるのはむしろ2.のほうだと思う。

結論から書こう。
私が思うに、「子供を産むべきか」というのは本来、「考えるようなことじゃない」のだ。
「子供を産むべきか」は、個人で判断して計画して決定して、責任を負うようなことじゃないのだ。
子供は、できたら産むもの。そして、責任は社会全体でとるものだ。
まあ、今はそうなってないわけだから、現実に今の日本では、考えて責任を取る覚悟をして産む必要があるんだけどね。

私は個人的には、中絶が絶対だめだとは思っていないが、「子供が大きくなるまで、死ぬまで、困らせないことができないと思うから産まない」なんていう重たい判断をして中絶しなければいけない、というようなことは減らさなくてはいけないのではないか。

ペットを飼うのは、個人の判断によって行われて、自己責任で、飼い始めたからには責任をとらなきゃいけない。
そりゃ、10年とか長いさ。でも10年、しかもペットを育てる費用や環境は、まだ予測がつく。たとえば猫1匹ならどんな環境に住居が変化しても一緒に住める。えさ代だって、きっと出せる。
ペットだったら飼えなくなったら他の人に渡すということだってできる。
それを子供で同じように考えたらどうだ?それも最低20年、下手すると一生?
真に責任を取れると言える人なんて誰もいなくなるに決まってるよ。

バックにある考え方がこうなってたら、ペットのとらえ方と子供のとらえ方が均質化してくるのは当たり前だ。でもペットと子供は違う。絶対違うのだ。そこにはむしろ、理由はない。
理由なんか考えるから、それと同等の条件になったときに違いを見失うのだ。
ペットと子供は、とにかく違うのだ。

核家族化の選択、家業の廃絶、地域コミュニティの崩壊、中絶技術の確立、貞操観念の崩壊、と、日本は(世界も?)かつて保持していた「子供を適切なときに産み、みんなで育てる」というシステムをすべてぶっ壊してきた。
私はそれを悪いとはあまり思っていないけれど、社会にとって子供が必要なのは自明なのだから、新しいシステム(思想)を構築すべきだ。
社会にとって必要で個人にとってそれほど必要でないものを支えるのは、倫理とか、道徳とか、空気だと思う。そこからシステムが作られるのだ。
まずは「子供を産むかどうかは個人の自己責任」という考え方を変えなくてはいけないと思う。

今はまだいいのだ。なぜなら、過分に稼いだ親世代がいるから。
今の30代は親と良好な関係でさえいれば、親に助けてもらってあと10年は育てられるんじゃないか。
しかし私たちの子供世代となってくると、かなり絶望的である。

個人的な考えとしては、こういう(自己責任とかの)考え方を普及させた今60歳くらいの人たちがいると思っていて、責任とって何か言い残していきなよ、と思うが、あまりそれに関する話は聞いたことがない。
「間違っていました」「そこまで考えていませんでした」とか、ちゃんと言ってほしい。

道路と長ねぎ

いつかやる気がしていたが、さっき保育園送りの帰りにマックスバリュに寄って買い物して自転車で帰っていたら、長ねぎを落とした。幸い、5メートルくらい走って気がついて戻った。

道路に長ねぎが落ちているのは思った以上にシュールなことを知った。

調理パンとかだと比較的不自然じゃないのだろうか。
湯気をたててるものだといやそうだな。ラーメンとか。

豚肉と卵の煮物とか

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今日は少し早く夕飯作り始められたので、冷蔵庫整理に乗り出した。

じゃがいも、にんじん、たまねぎ、キャベツ、エリンギ、それに皮なしウインナーを細かく刻んでシャトルシェフで多めの野菜スープ。

たまにはいいか……と買った冷蔵の豚バラスライスがもう限界だったので、久しぶりに豚肉と卵の煮物。
これは、前作ったら夫に好評だったのでたまに作るのだが、煮物というか、ようは豚丼の具みたいなものにゆで卵を入れて煮たものである。
かなり肉が好きな人じゃないと臭いと思う。

あとサラダと、数日前にチャーシューを作ってから要望が強かったチャーハン。

今日はみんなの好きなものばっかり!という感じである。

ほんとはこれくらいは手をかけたごはんがいつも作れればいいのだが、難しいんだよなー。時間とるのが。